【育児】人を喜ばせたい気持ちは遺伝子に刻まれているのか

2歳の息子、少しずつできることが増えてきてたので、それを目撃する度に私はめっちゃ喜んでいる。

 

例えば、お菓子を食べたゴミをゴミ箱に捨てに行ってくれたとき。

「えー!お菓子のゴミをちゃんとゴミ箱にポイしてくれたん!?母ちゃん嬉しい!!今週に入って一番嬉しいかも!!嬉しくて踊っちゃう!!(くねくねしながらマラカスを振るような動き)」

といった感じで、大袈裟すぎて他人に見られたらまあまあ恥ずかしいので、息子と二人きりのときにしかできない荒技なのだが、これをすると息子も「イェーイ!」と言いながら拍手して喜んでくれる。

 

私が大袈裟に喜ぶもんだから、最近では自分が食べたお菓子のゴミ以外のものも、自らゴミだと判断した物はゴミ箱に入れてくれるようになった。判断基準も「これは大人もきっと要らんやろな」と解っているのか、不要なチラシ等を見極めて捨てている。大人の行動をよく観察してるな〜と感心する。(親バカ発動)

 

大袈裟な喜びの舞は毎回するわけではないが、遊んでいたおもちゃを元の場所に片付けてくれたり、〇〇とって〜と言って指定したものをちゃんと持ってきてくれたときは、できる限り「嬉しい!ありがとう!」と喜びを表現するようにしている。

 

すると「こうすると親はなんか喜んでくれるな」「喜んでくれてるの見てたら自分も嬉しくなってくるな」「もっと喜ばせてみようかな」などと思ってるかどうかはわからないが、言われなくても私が喜ぶ行動をしてくれるようになった。が、その後必ず「ほら、上手にできただろう?どうだね?盛大に喜びたまえ」とでも言いたげな顔をしてこちらの反応を伺うようになってしまった。

 

もしかして私が見てないところでは何もしない子になるのではないか?と不安になったが、かといって今まで過剰な反応を見せていた私が急に喜ぶのをやめたら、それはそれで幼い息子にとっては相当ショックだろうから「母ちゃん、もうそれいいよ…いい大人がなにやってんの…恥ずかしくて見てらんないよ」的なことを本人の口から言われるまでは続けようと思う。

 

それにしても、生まれてまだ2年しか経っておらず、言葉を上手く話せない子どもでも、自分がしたことで人が喜ぶ姿を見るのはきっと嬉しいんだろうな。

もしかしたら人間って、遺伝子レベルで他人を喜ばせたい気持ちが生まれながらに備わっているのかもしれない。何も知らない状態から、こうすれば人は喜んでくれる!もっと喜ばせたい!と自分なりに考えて、日々行動して学んでくれてるのかな。そう思うと、ますます愛おしさが青天井だねぇ。

 

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(これは息子が「できたよ!見て!!」みたいな感じでニコニコしながら完成したことを見せにきたレゴ)(なんか前衛的だね!シュールリアリズムの絵にありそう!と喜んでみた)

 

 

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