2歳3ヶ月の息子、ただいま絶賛イヤイヤ期の真っ最中。
大好きなピタゴラスイッチ(録画してるやつ)を見せてくれ!と毎日リモコンを持ってきては、さすがに見過ぎだから少し我慢しようと私に断られ、大号泣。
しぶしぶ見せたとしても、番組が終わると悲しくて大号泣。もう一度見せてくれとリモコンを持ってきて大号泣。その無限ループ。終わらないピタゴラ。エンドレスピタゴラ。涼宮ハルヒかな?
具体例を挙げだしたらキリがないので他の事例は割愛するが、とにかく親から見て、あまり好ましくない言動をしそうになるのを制止すると、欲求が満たされずに癇癪を起こして聞かないのだ。
さすがに自分が2歳の頃のイヤイヤ期は覚えていないが、思春期にそれなりの反抗期を迎えた頃の私に心の中で問うてみると、息子の気持ちがよくわかる。自己主張したいのだ。親が良かれと思ってああしなさい、こうしなさい、と言ったところで「うるせぇ!!!例え親と言えどアンタとボクは別個体!!!今はこうしたいんだ!!!これがボクだ!!!」という強い気持ちは止められない。紅(癇癪)に染まったこの俺を慰めるやつはもういない状態。
(改めて読むと紅の歌詞ってイヤイヤ期のことかと思う。
お前は走りだす 何かに追われるよう
俺が見えないのか すぐ側にいるのに
この箇所とか、予想だにしない場所で突然走りだす2歳児の日常そのものやん。そんな2歳児の気持ちをYOSHIKIさんが込めていたのであれば、カレーが辛くて怒って帰っちゃうという逸話も納得できる)
…話は逸れたが、私も思春期のときに、親や学校の先生に反発していた時期を思い出す。反発と言っても、あえて親や先生を困らせてやろう!というつもりはなく「私は自分の人生を自分の意思で生きたい!」という気持ちで行動したことが、結果として周りの大人を怒らせてしまったような気がする。
高校生の頃の私はラウドロックが大好きで、パンクやメタルなどの「とにかくBPMが速くてうるさい曲」ばかり聴いていた。お弁当屋のバイトで稼いだお金で、ときどき地元のライブハウスへ行き、いろんなバンドのライブを観ては、首がムチウチになるまでヘッドバンギングをするのが生き甲斐だった。
当時中古CD屋でジャケ買いした、AC/DCのLiveアルバム。そこに写る、ギターを掻き鳴らしながらヘッドバンギングをしてると思われるアンガス・ヤングが最高にクールだと感じていた私は、その時期「髪の毛がもじゃもじゃであればあるほどヘッドバンギングをしたときに迫力があってカッコいい」という謎の憧れを抱いていた。
(今見たらそんなにもじゃもじゃじゃないアンガス・ヤング)
可愛くなりたい!とか、男の子にモテたい!という気持ちは1ミリもなく、ただ「迫力のあるヘドバンがしたい」という理由だけで、ある日親や先生に黙って、全くオシャレのかけらもないチリチリのパーマを当てた。この時点で私は青春の大事なものをドブに捨てたのだが、それでも個人的には迫力のあるヘドバンができる!と大満足だった。
そりゃもう親にも先生にも怒られた。親はそこまで怒らなかったが、先生には髪の毛を掴まれて「なんやこの頭は!?どういうつもりや!?」と言われた。しかし、校則では髪の染色は禁止であったが、チリチリパーマに関しては言及されていなかったので、特にお咎めもなく済んだ。
息子のイヤイヤに直面したとき、先生や親に反発してチリチリパーマを当てた、あの頃の自分を思い出す。息子も私たち親を困らせたくてイヤイヤしているわけではないのだと。自分のやりたいことに対する強い意志がそうさせているのだと。
しかし、イヤイヤやチリチリができるのも、結局は親や先生にまだ甘えられるという気持ちや安心感があるからできることであって、それをしたら確実に全ての大人から見捨てられるとわかっていたら恐ろしくてなにもできなかっただろう。
あの頃怒られながらもチリチリの私を見捨てずにいてくれた親や先生に感謝すると共に、イヤイヤ期の息子にも、よっぽど他人に危害を加えたり人の道を逸れた言動をしない限りは、寛大にその気持ちを理解して受け止めてあげたいと思った。
それにしても、十数年前の自分の黒歴史も、思わぬ形で役に立つ日が来るもんだなぁ。
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