【自己肯定感】めっちゃ褒めてくれるマダム

今日も今日とて、探索がてら息子と家の近所を散歩していると、住宅街の中にポツンと小さな昔ながらの美容院があるのを発見した。店先では店主と思われるマダムが、鎌を握りしめながらお花の手入れをしていた。

花が好きな息子がダッシュで駆け寄って行ったため、追いかけていき「こんにちは〜!」とマダムに挨拶をする。

 

「あらぁ、こんにちは!初めて会うかわいい坊やね!この辺の方?」とマダムは気さくに話しかけてくれる。

「最近近くに越してきたんです」

「そうなの。じゃあ地元は他にあるのかしら」

「神戸の垂水が地元です」

「まぁ!私は隣の須磨が地元なのよ!嫁いできてここに店を構えてるんだけど、地元が近くの人がなかなかいなくて!垂水の人とお話しできるの嬉しいわー!」

そこから私とマダムは初対面にも関わらず、出会って数秒で地元トークで盛り上がった。須磨寺の近くの商店街のどこの和菓子屋さんが美味しいかとか、須磨浦山上公園の回転展望台が壊れていて回らないとか、スマスイが今日で閉園するのが悲しいとか。私が通っていた高校が須磨にあったのでその周りの話をすると「まぁ!そこってすごく頭のいい高校じゃない!ほとんどの生徒が神戸大学へ行くんでしょう」と言われたが、全くそんなことはない。私みたいに大学へ行かずに入学金さえ払えば誰でも入学できる音楽の専門学校へ進学する生徒はほぼいないことは間違いないが、神大へストレート入学した同級生も聞いたことがない(知らんだけでいるのかもしれないが)。

多分どこか別の高校と勘違いされているのだろうと思い、否定したが「またまた謙遜して〜」と流されてしまい、そこからマダムは私がまるで賢者であるかのように、何を言っても賢い賢いと褒めてくれるようになってしまった。

 

「あそこに引っ越してくるなんて賢いわ!こっち側は道が入り組んでいて不便だしよそ者に意地悪な年寄りも多いからね!」

「中古の家を選ぶのも賢いわ!将来かかるお金のことをちゃんと考えているのね!流石だわ!」

「毎日子供と散歩してるなんて賢いわ!散歩で見る景色はなんでも子供の刺激になるのよ!」

「この子はお花が好きなの?賢いわ!賢くないとお花に興味を持つこともないもの」

 

と、私が話す内容全てを「賢い」に連携させていく。もしやこのマダム、赤の他人の全く大したことない話を、なんでも「賢い」へ繋がるゲームを一人でやっているのでは。

短時間に賢い賢いと言われすぎて、もはや賢いの定義がなんであるかわからなくなってきたが、悪い気はしなかったし「もしかして私って本当は賢いのではないか」という錯覚さえ覚えた。

 

その後話題はマダムの姪っ子さんの話になった。大学で物理学の教授をしているバイリンガルらしい。マダムよ、賢いというのはその姪っ子さんの為にある言葉だよ。わたしゃ大学も出とらんし英語も話せなけりゃ物理学のぶの字も理解しとらんのよ。

 

でも知り合いが一人もいないこの土地で初対面の方と小一時間(喋りすぎやろ)話せて楽しかった。よく公園で一緒になるお母さんたちとは、お互い自分の子供の相手をしながらだからこんなに話せないしね。

マダムのお店の近くの池の蓮の花がもうすぐ咲くことを教えてもらったので、見に行くがてらまたマダムに会いに行こうっと。