先日、支援センターに息子の発達検査を受けに行った。息子が受けたK式発達検査は、主に幼児期〜小学生の子どもを対象に、「姿勢・運動」「認知・適応」「言語・社会」の3領域から発達の遅れやバランスを多面的に評価する心理検査(Google調べ)である。
親から離れ、一人個室に連れて行かれた息子は、心理士さんと一対一で1時間ほど様々な検査を行った。
結果は身体面、聞いて理解する能力が実年齢に対し1歳ほどの遅れ。視覚優位で聴覚過敏気味なところがあったり、集団行動が苦手であったり、好きなものに対してのこだわりが強いことなどから自閉スペクトラム症(ASD)という診断が降りた。
園で指摘されてから色々調べていたため、多分そうじゃないかな?と思った通りの診断が降りたので、ショックを受けるというより「やはりそうか。じゃあここからどうサポートしていくか考えていかなあかんな」という気持ちで溢れかえった。
そのまま療育センターで療育の予約を入れ、後日近場の幼児発達支援を調べて見学予約を入れた。息子はASDの特性上、様々な感覚が過敏な為、常に脳がフル回転しており、定型発達の子たちよりも疲れやすいらしいので、あまり間隔を詰めて予定を組まないようにした。
息子のような子供は発達に凸凹があるため、苦手なことは本人の努力だけではカバーできない部分もある。その反面、得意なことや好きなことには没頭し継続できるという長所もあるので、親である私としては、苦手なことを人並みにすることよりも、得意なこと好きなことをとことんさせてあげたいと思っている。
だが、これから社会を生きる上、ASDが苦手とする人とのコミュニケーションであったり、周りに合わせて行動する術をある程度習得していないと、今後本人が苦しい思いをすることになる気がする。その辺りは療育に通ったり、今まで通り園で支援してもらったり、家でもできることは努力して、彼をサポートしていきたいと思う。
私は子供の頃、どちらかというと早熟で、言語の習得が早かったり理解力も高く、幼稚園では言われたことをそつなくこなす為、周りの手本になることが多かったそうだ(母曰く)。
小学校でも通知表は「よくできる」以外に〇が付くこともほとんどなく、親は「この子は賢い!偏差値の高い大学に行くわ!」と思っていたそうだが、(家が貧しく常に放置され、教育に投資されなかったのもあるが)中学以降学力は失速し始め、高校はぼちぼちの偏差値の公立校に行ったものの、全く勉強をしなくなり、誰でも通える音楽系専門学校へ進学した。それが悪かったかと言われるとよくわからないが、幼児期に早熟で一見優秀に思える子供でも、親の伴走や本人のやる気がなければすぐに失速するものだという体感がある。
今の息子を見ていると、私の幼少期と真逆なのである。なので私は息子に可能性を感じまくっている。発達がゆっくりしているということは、時間が掛かる分それだけいろんなものを沢山吸収できるのではないか。幼少期の私は、何事も少しやれば「なるほど、こんなもんか」と、ある程度ものにできたので(逆上がりとかの運動以外)、なにをしても非常に飽きっぽく、一つの物事を極められず、結果なにも成し遂げることなくここまで来てしまった感がある。母からは「器用貧乏」と言われていたが、その通りである。
(だんだん苦手なものが増えてきて今ではなかなかにポンコツになっております。優秀だったのは幼少期の話です悪しからず…)
対して息子は、興味があるものに対しては本当に延々とやっている。今だとプラレールの線路をくみ出すと何時間もやっているし、特に1歳半ごろから好きなトイレに対しての情熱は止まるところを知らない。外出時は必ず目についたトイレをチェックしに行き、毎日欠かさずトイレに関するYoutubeを見たりパンフレットを読み漁り、トイレの絵を描き、家や園ではあらゆるものを使ってトイレ内部の構造を自作している。
一つのことを継続できない飽き性の私からすると、この継続力は尊敬に値する。苦手なことは多かれど、これは間違いなく彼の長所であり、才能だと信じている。
もしかするとこのトイレ熱は彼の人生に置いて一過性のものかもしれない。他にまた夢中になれるものがあればその時も我々親は全力で見守り応援しようと思う。
まだまだ彼の人生は始まったばかりだし、私と夫も親になって間もないからまだまだ未知なことだらけだが、きっと普通の子育てと比べると大変なことは多いかもしれない。だがその分おもしろいことだって普通より多いと信じている。なんてったって息子は「おもしれー男」だから。