【クリスマス】傷付いた過去を自ら成仏させる

世間では華やかで世界中でお祭りムードになるクリスマスだが、私はどことなく物悲しい気持ちになってしまう。

 

私が幼稚園の頃、まだサンタを信じていた時代。カードに「シルバニアファミリーのお家をください」と書いて窓辺に置き、毎日ワクワクしながら過ごしていた。

迎えたクリスマスの朝、枕元に置かれていたのは何故か牛乳石鹸の青箱とスーパーに売っている普通のお菓子だった。

 

理解ができないまま親に「サンタさんにお願いしたのと違うものが置いてるよ」と伝えに行くと「あんたがお利口じゃなかったからでしょ」と一蹴され、深く傷付いたのを今でも生々しく覚えている。

私は他の子に比べてお利口じゃなかったんや…だからサンタさんはおもちゃくれなかったんや…と子供ながらに自分を責めた。

 

家で弟の面倒をみながら留守番させられたり、父に楽しい所に遊びに行くぞと騙されて、パチンコ屋や馬券売り場に連れて行かれて文句も言わずに静かにしていたのにこの仕打ち。この頃から私の中でサンタの存在と親への信頼がまたたく間に消滅したのであった。

 

自分が親になってみてわかる。たとえ家が貧しくても、たとえ子供(しかも幼稚園児)に腹が立つことがあっても、たとえ忙しくて心に余裕がなかったとしても、純粋にクリスマスを楽しみに待つ年端もいかない我が子にそんな辛辣な言動なんてできない。

お金がなくて希望通りのおもちゃが買えないならせめて「サンタの国ではシルバニアファミリーが手に入らないから、代わりにこのぬいぐるみで遊んでね。来年は希望のものを届けられるように頑張るね」などとサンタに扮して書いたメッセージカードとなんとか買える値段のおもちゃでも添えときゃまだここまで傷付いていない。そういった知恵も働かず、子供の意思を全く尊重しないチョイスなうえに、まだ4,5歳であるこちらに非があるような口ぶりをした親が許せなかったのだ。

 

数年前にこの話を夫にしたところ、最近息子に「母ちゃんは子供の頃お利口にしてなかったから石鹸しかもらえなかったんだぞ。息子もサンタさんからプレゼントを貰いたかったらお利口にしとかなきゃダメだぞ」と、息子がよくない行いをしたときにそれを正す為に引用しだしたので、思わず

「当事者でもない人間が、私が傷付いた話を息子を戒めるための道具として使わんといてくれ。お利口じゃなかったのは子供じゃない。それを口実に子供を傷付けたうちの親と、何も考えずその話をここで口にしたあんたや」

と捲し立ててしまった。夫はすぐに謝ってくれたが。

 

ただでさえ傷付き、自分を責め、誰からも救ってもらえず、悲しい気持ちを引きずったままずっと心に居座り続けたあの日の自分を、この日をきっかけに自分自身が守ってあげられたような気がした。

あの頃の私、悲しかったね。その悲しみは大人になった私がもう捻り潰しといたからもう大丈夫だよ。君はなにも悪くないよ。と、普段息子を抱きしめているように、心の中にずっといた悲しい顔をした子供の頃の自分をぎゅっと抱きしめてあげるイメージをすると、スーッと成仏していくような気がした。

 

過去の悲しかった出来事も、何十年も経ってから自分自身で浄化できることもあるんだな。大人になり、自分が親になったからこそ、あの時の自分まで我が子のように愛おしく思える日が来るなんて。

 

あの頃の私と同じくらいの年齢になった息子。彼にはこんな悲しい思いはさせたくないし、私たちの元に生まれてきてくれたからこそ、楽しい人生を送ってほしい。

毎年クリスマスは、この一年一生懸命頑張ってきた子供の為に、親としてできることを精一杯やってあげたい所存。とか言いつつ、まだツリーすら出してないんだけれども…