【メンタル】他人が捨てた運を拾う


息子と散歩をして家に帰る通り道に、自転車を並べて道を半分ほど塞ぎながら大声で喋っている知らない女性二人組がいた。なんか嫌だな…と思いながらもその人たちの前を通らなければ家に帰れないので、前を通るときに「こんにちは〜」と挨拶をしたが、ギロッとこちらを見るだけで、道を開けてくれるわけでもなければ挨拶も返さず、そのまま大声で話し続けていた。正直不快極まりないが、何も見なかったことにして家に帰った。

 

かのスーパースター大谷翔平さんは、試合中にグラウンドにゴミが落ちているとすかさず拾って片付けるという。「ゴミは他人が落とした運なので、それを拾うことで自分の運を拾っている」という考え方なのだとか。流石世界の大谷さん、人間性も思考も行動も素晴らしい。

 

その逆に、ゴミを平気でポイ捨てする人や、さっき遭ったような挨拶を無視する人、ネット等で有名人の誹謗中傷する人、自分が気に入らない相手に執拗に嫌がらせをする人、煽り運転や危険な運転をするマナーの悪い人などなど、いくら自分が真っ直ぐ日常生活を普通に過ごしていたとしても、嫌でも遭遇してしまう残念な人達がいる。彼らは自らの運や人望、はたまた財産や寿命なんかを知らずしらずのうちに捨て続けている気がしてならない。

これは最近気付いたことだが、そういう人を見かける度に「あの人が捨てた運ゲット〜!私に幸運をくださりありがとうございまーす!」なんて気持ちでいれば、いちいちイライラする事も減ってアンガーマネージメントができる上に、徳も積めてお得な気がする。私はまだまだその粋に達していないけど、世界の大谷さんはそれを経て輝く今があるのだ、きっと。もちろん血の滲むような努力もたくさんされているけど!

 

人の振り見て我が振り直せという言葉があるように、残念な人から学ぶこともある。

たったその瞬間の点でその人を判断してはいけないのはわかるが、そういうことをする人って、往々として残念な人である可能性は高いし、自ら不幸になる道を進んで行っている気がする。

高校生の時、何故かめちゃくちゃ意地悪な女の子に粘着されてしまい、部活の先輩やクラスの男の子に私の悪口(すべて捏造)を吹き込まれて居心地が悪くなったことがあったが、真相を知っていた友達が私を守ってくれたり、クラスメイトに誤解を説いてくれたお陰で、そこから平穏な学校生活を送れるようになったことがある。

その後、私に嫌がらせをし続けていた彼女は先輩たちから無視され、クラスでも孤立し、不登校になった。その際に「私に優しくしてくれるのはアンタしかいない!アンタは私の味方よね!?」と何故か私に泣きついてきたが「え?散々私に嫌がらせしといて?今まで友達やと思ったことなんか一度もないで?」と突き放して帰った。なんで私が自分の味方だと思っていたのか…思い返した今でも思考回路が全く理解できなくて恐怖である。

彼女は自分で蒔いた種を回収しただけだったが、私としても普段の行いを見ていた友達やクラスメイトが「あの子がそんなことするわけない」と信じてくれたお陰で、その後学校生活を普通に送ることができたわけだ。普段から人に嫌われるような言動をしていたら、誰からも守ってもらえずに私も不登校になっていたかもしれない。

 

なんて偉そうに書いてるが、今だに全く完璧じゃないし、毎日「なんであのときあんなこと言っちゃったんだろう」とか「あの言動で相手に嫌な思いをさせてしまった気がする」と後悔している。ただ、こうして後悔や反省ができるうちが華であり、人を傷付けることに何も感じない人間になってしまっては、いよいよ自分も残念な人間の仲間入りだろう。反省するだけじゃなく、次に活かしていかなきゃいけないけどね。

 

私は幸せになりたいし、自分を大切にしてくれる周りの人ももれなく幸せにしたい。だから他人が落とした運を沢山拾って、少しでも他人に優しくできる人間になりたいのだ。

どれだけ無視されようが近所ですれ違った人に挨拶を続けたいし、これからは散歩にゴミ袋を持参してゴミを拾って運を沢山味方につけたい。大谷選手を見習って。