【思い出】サモトラケのニケくん、元気ですか?

私が初めてインターネット上で顔も名前も知らない他人と交流したのは中学一年生のとき。

当時Z会の通信教育を受けており、インターネット上にZ会の会員限定の交流サイトというものがあった。2ちゃんねるのような掲示板で、会員が自由にスレッドを立てたり、そこに書き込めるようになっていた。

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当時父が仕事で使っていて家にあったiMac DV。学校のパソコンがWindowsだったのでマウスの扱いに苦戦した。

 

私はその頃、「インターネットは怖いところ。不特定多数の人に個人情報を一切漏らさないようにしなければ」という漠然としたリテラシーが備わっていたので「ほにゃたろう」というハンドルネームを名乗り(性別も悟られないように一人称を僕にしていた)勉強そっちのけで交流サイトに入り浸るようになっていた。

学校であった面白い出来事を書いたり、お笑いのスレッドで大喜利したりしてるうちに、いつしかほにゃたろうはその界隈で知名度を上げていった。

 

ある日「ほにゃたろうさんのファン集まれ☆」というスレッドが立ち、その名から私を男の子だと思った女子たちが、ほにゃたろうさんはきっとこんな人に違いないと、まるで少女漫画みたいな美形の男の子の絵を想像で描いて投稿していたり「ほにゃたろうさん降臨待ち❤️これ見てくれてたら連絡ください!」みたいなファンレターのような書き込みが度々みられるようになった。

一方で、それが気に入らないアンチほにゃたろう民も同時発生しており「ほにゃたろうとかいうやつ、絶対ケンカとか弱ぇ雑魚野郎だろ?」「ネット上で女にキャーキャー言われて調子乗りやがって」「俺が相手してやるからいつでもかかってこいや」という、ブレイキングダウン顔負けの挑発的なコメントも書き込まれるようになった。

 

どっちにしろ、過剰な自己防衛から変なハンドルネームを最初に付けたせいで、様々な人に誤解を与えてしまい、交流サイトに居づらくなってしまったほにゃたろう(私)。

 

そんな中、サイトを始めた当初に知り合い、唯一サイト内のメッセージ(今で言うDMのようなもの)のやり取りをしており、自分の性別を明かしていたサモトラケのニケくんが「ほにゃくん、掲示板大変なことになってるね。僕、ホームページを作ったからそっちに信頼できる友だちだけを招待して、そこで交流しようよ」と提案してくれた。

 

サモトラケのニケくんは中学一年生でその名をハンドルネームに付けるセンスから推測できる通り、博識で聡明な人であった。「暇人の集い場」と名付けられたそのサイトに入ると、なんだか軽快な音楽が流れ「ようこそ!あなたは〇〇人目の訪問者です!」というカウンターが画面の中央に表示され、サモトラケのニケくんの日記や、交流用の掲示板や、リアルタイムでやり取りができるチャットが設置されていた。

既存の会員サイト内でしかブイブイいわせていなかったほにゃたろう(私)は「同じ年齢でこんなサイトが作れるなんてサモトラケのニケくんは天才だ!」と衝撃を受けた。

 

サモトラケのニケくんが集めてくれた穏やかな人達と一緒に、毎週チャットで交流をした。相変わらず学校であった出来事や、恋バナや、授業でわからないことを共有したりして楽しい毎日を過ごしていた。学校や家庭とは別に、第三の自分の居場所ができた気がしてワクワクした。

今となっては全く話した内容を覚えていないけど、みんな本名も顔もどこに住んでいるのかも全くわからない他人同士でも、こんなに楽しく交流できるんだ!と嬉しかったのを覚えている。

 

その後受験が近付くにつれ、日々勉強に忙殺された我々は徐々に暇人の集い場に集わなくなった。受験も終わり、晴れて高校生になってしばらく経ったある日、ふと暇人の集い場を思い出しアクセスしようとしたところ、サイト自体が消滅していた。暇人の集い場の住人は、みなネットリテラシーが高すぎるあまり、誰ともメールアドレスなどを交換していなかったため、それから二度とサモトラケのニケくん達と交流することはなかった。

 

あれから20年経った今でもときどき暇人の集い場のことを思い出す。サモトラケのニケくん達はどんな顔で、どこに暮らしていたのか。その後どんな人生を送っていたのか。サモトラケのニケくんも、実は女の子だったりして。

 

サモトラケのニケくん、元気ですか?

ほにゃたろうは子供を産んで元気に子育てをしています。毎日それなりに楽しい日々を送っているよ!

 

 

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